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2010年12月25日 (土)

さよならテラスハウス

 激動と呼ばれていた2010年もそろそろ終わりになろうとしています。皆さんのことし一年は如何でしたでしょうか。鉄道業界でも様々な激動があったわけですが、私個人としてはやはり「引越」が一番印象に残っています。

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(引越祝いのパーティ、もちろん嘘)

生まれてこの方約30年以上住んでいた場所からの引越しですので、肉体的にも精神的にも色々と大変でした。ただ私の住んでいた前の家が少し歴史的な建物だったので、ちょっと振り返ってみましょう。

以前住んでいた家というのは、いわゆる「団地」でした。通常団地と言えば5階から6階建ての集合住宅、映画で例えれば「耳をすませば」の月島雫が住んでいる場所を思い浮かべる人が多いと思いますがそうではありません。

団地好きな方の場合だと「スターハウス」を思い浮かべる人もいらっしゃるかと思いますが、もちろんそんな小洒落た建物でもありません。それは「テラスハウス」という建物です。

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「境界壁を共有した低層階の建物、高度経済成長時代に日本住宅公団が作り出した団地の敷地内に建設された」とネットでは紹介されています。私が住んでいた地域には幾つか団地があるのですが、そこでは主に高層階の集合住宅がメインでした。

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しかし、私が住んでいた団地は土地が隆起していた場所にありました。そのため日照権や土地を有効活用する目的で「テラスハウス」を併設したようです。そこに私は住んでいました。

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(引っ越し後すぐに解体されたので、もう思い出でしかない)

私達家族が引越した後、建物は跡形も無く解体されました。ここには新しい市道が整備されるそうです。30年以上の思い出はあっさりと形を無くし、私の心の中にぼんやりと輝いています。

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ただこの建物を壊すとなると勿体ない、どうせ壊すのなら建築を先行している学生達に生きた教材として使ってほしいと一部住宅は一旦解体を免れ、関西にある建築学科を有する大学が集まり、リフォームを実践する場所となりました。

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(奥に見えるのが建て替えられた団地。家賃の関係で私は入居しなかった。個人的な意見だが、2DKで月10万円台の家賃は高すぎると思う。近隣の住宅は2DKで大体6万円台。)

塀に囲まれているものの、そこは今まで見ていた風景と同じ場所。懐かしくもあり儚くもありと何だか不思議な気分にさせられる場所です。

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リフォームした住宅をご紹介する前に、あえてリフォームをせずに現状を残す事を選択した物件がありましたので、先にそちらをご紹介いたします。

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(機能性だけが目立つ外観。窓は全て木製。)

外観は立派なコンクリート構造です。2階建ての構造となっており、家の裏側にはテラスハウスの語源となった庭が設置されています。今となってはものすごく贅沢な設備です。

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(家の中は意外と洋風だった。ALWAYSな世界)

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(1階部分の間取り。機能性に満ちている)

1階部分はお風呂・洋式のトイレ・台所とリビング・2階へと続く階段と物置が効率よく配置されています。高度成長期には喜ばれたであろうこの設備も、効率性を重視しすぎたのか現在の住宅環境からすれば幾分狭い感じが否めません。

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(風呂は無駄に水が入るのでなかなか沸かなかった。トイレは洋式だったものの、配管はすべて和式の様式。引越す1年前に水漏れした際、もう部品が無いと水道屋が嘆いていた。)

トイレは玄関真横。用を足しながら来客もわかるというある意味居留守が使いにくい構造。お風呂はバリアフリーという言葉すらなかった時代の代物。足を伸ばして入浴するという事は到底考えられないものでした。写真ではシャワーが付いていますが、入居した当初はシャワーなんぞ夢の設備。無理やり増築して後に造られました。

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(二階の間取り。皆さんが思っている以上に狭い)

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(畳の焼け具合がココに生活していたんだと物語っている)

2階は大きな窓とベランダが嬉しい6畳の部屋と、大きな押し入れと納戸が付いている4畳半の小さな部屋の2間で構成されています。両方とも畳敷きになっているのはまさに時代でしょうね。

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(階段は暗くて狭い。我が家の場合収納も兼ねていた。ある意味階段箪笥)

階段部分も現在の住宅からすれば急。ビフォーアフターでは必ず取り上げられるであろう空間でしょう。私も子供の頃何度も落ちてました。よく生き残ったなぁとあの当時の私を褒めてあげたいです。

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さて基本を押さえたところで、リフォームされた物件を見ていきましょう。今回のテラスハウスは外壁こそはコンクリートを使っているものの、中身はコンクリートブロック塀と木材で組まれた構造となっていました。なので、技術を伴わない学生がリフォームするには最適の物件だったようです。

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(2階の床板を外して吹き抜けの空間を作っている例)

解体しにくい台所等の水回り部分は解体せず温存し、それ以外の箇所に力を入れています。ただ、ビフォーアフターの影響からか2階部分をぶち抜いて大きな開放空間を導入する方法が大半。

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また建築容積の中に組み込まれない庭部分のデッキが多く見受けられました。外と中の空間を一直線にすることで広がりを求めようとしたのでしょう。傾向が似てくると最終的には造形の完成度やコンセプトでの勝負となります。

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(完成度がやけに高いと思ったら、大学院生がリフォームした部屋)

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(あえて無垢の色調にまとめた家。ここにはちょっと住んでみたかった)

多くは居住空間というものではなく、応接スペースとして建物をリフォームしているものが多かったです。それだけ表現するスペースが少なかったという事なのかもしれません。

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元々ひとつの学校に2つの住居スペースを割り当てられていたという事もあり、中には二つの住居スペースのうちひとつは応接、ひとつは居住というやり方でデザインを考えた学校もありました。

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(ふたつの居住スペースを使うと一気に使い方が広がっていた。この部屋も住みたい)

中には学生らしくトンデモ……じゃない、自由な発想でリフォームされた部屋もあります。

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(壁には解体中に出たであろう端材を付けて目隠しし、床板は本来使ってはいけない種類の合板を使用。もちろん体重制限があるので私は入れない。)

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(「残念な匠」状態)

家に木を植え、階段までのアプローチは坪庭を意識した石畳と土を配置。囲炉裏を再現したであろう空間には砂利を敷き詰め枯山水も再現可能。一体この部屋に住む人はどういう人なんだろうと小一時間問い詰めたくなる行き当たりばったりなリフォーム満載の部屋も。それ以上に驚かされたのが

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窓が無ぇ。

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階段だらけのアスレチックハウス。

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それどころか階段が壁からはみ出てる。

果たしてこれは家と呼べるのか?と常識を今一度確認したくなる空間も用意されていました。少なくともこの家のリフォームを施した人間の設計した家には住みたくありません。

 

 

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そんなテラスハウスも、来年の3月末までに地図上から無くなるとのこと。終わりがあるから今が楽しく、そして新しい事を始めるためには何かを終わらせなくてはいけない。判って入る事ですけど、ちょっと寂しい。そんな感傷に浸りつつ、2010年は暮れていくのでしょう。

さよなら、テラスハウス。

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(この建物の裏手には手付かずのテラスハウスも残っている。誰か一棟丸ごと買ってリフォームしてくんないかなぁ)

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2010年12月11日 (土)

Re:電車が来ない町へ

 先日、親戚の法事でまた父親の故郷へ出向きました。

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(やっぱり笑瓶さんではありません)

今年の夏に掲載した記事にも書きましたが、父親の故郷に至る「呉線」という路線は先日まで土砂災害によって竹原駅から安浦駅の間が運休していました。

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より大きな地図で 呉線運休区間2010年8月 を表示

(こういう地図も掲載してましたね)

その日からおよそ3カ月。土砂災害が発生した場所は重機が入りにくい場所故作業は大変だったそうですが、無事11月1日に運行を再開しました。

無事運行を再開した同じ時期に「道の駅たけはら」という施設がオープンしたこと、そしてアニメ「たまゆら」の聖地巡礼ブームが重なり、竹原市界隈はそりゃあモォ大変なことになっていたそうです。この人気が本物になってほしいと思うのは私だけでしょうか。

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そこで注目したいのは「災害現場はどのように復旧されたのか」。特に吉名駅の構内にあった崩落現場がどのような状態になっているのか。気になった私は法事が行われる前に吉名駅へと出向いてみました。

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外観は運休した時とそのままで変わりありません。所謂平成の無人駅と言ったところでしょうか。朝早くに行ったからか駅前にタクシーは止まっておらず、空間だけが広がっていました。

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運休当時入口にあったフェンスは取り払われ、誰でも自由に出入りする事が可能になっています。自動券売機もあの時と同じように稼働しており、ベンチには次の電車を待つ人の姿も。

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階段を上がると、そこは列車の行き違いに対応した二面二線のプラットホーム。作られた時期が古かったのと、軍港だった呉が沿線にあるために駅の線路は過去の栄光を表すかのように長い列車が入線できるようになっています。一時期始発列車が設定されていた事もあって、岡山方面には両方の線路に出発の信号機が設置されているのもこの駅の特徴です。

土砂崩れが起こったであろう個所は新しくコンクリートで覆われています。これだけの目席が崩壊したのですから、新たに造り直すとしたら大変な事だと思われます。

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プラットホームから駅舎まで降り、以前被害状況や代行バス乗り場の案内があった掲示板を見ると、そこには0系新幹線の写真と便箋が。

「がんばって よしな←→YOSHINA なかなか復活しない呉線。みんなの笑顔が見たいから 新幹線のように 強く たくましく活きてほしいから 0系も応援しているよ!」

沿線の皆さんも、復旧を待ち望んでいたのでしょう。いくらローカル線だとはいえ、地域の方々にとっては生活の足です。新たな歩みを始めた呉線に明るい未来がある事を祈りつつ、今回の更新はココまでとさせていただきます。

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(駅のホームから街並みを望む。そりゃこういう風景が広がってたらアニメにもなるわ)

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2010年12月 4日 (土)

新青森

 このところ「アートエリアB1」で開催されたイベントで上映する画像をセコセコと作っていたり、法事が幾つかあったりと更新する事が叶いませんでした。せっかく「デイリー道場」さんに採用して頂いたのに更新しなかったのはそのため。その節はお世話になりました<DPZさん。

 今回はその上映する映像を作る時に何気なく見たコマーシャルのお話でございます。

『上映する映像を作ってね(はぁと)』という依頼を受けたのはイベント開始10日位前。実際にはもっと前からやんわりと伝えられていたのですが、完全なGOサインがなかなか出ません。作るのか作らないのかどっちなんだろうとやきもきして、まぁいいや作らなくていいやなんて考えだした途端にやってきたこの依頼。私もこういう映像を作るのが好きですから「好き勝手やらして頂く」という条件の元10日間かけて作らせて頂きました。

ただ、30分以上ある時間を全て埋めるのはしんどかったりします。そこであえて私の作った映像をYoutubeにアップし、Youtubeにある映像と組み合わせて一緒に上映するようにしました。そこで出会ったのがこのコマーシャルです。

間もなく東北新幹線が新青森から走りだします。青森の方々の望みが山彦の如く谷川を飛び、朝日に光輝く瑞穂揺れる田畑を駆け抜け、冬の色に包まれた青森にようやく今日やってきます。それは青森の方々にとって喜ばしい事なのでしょう。

しかし、私達は知っています。ストロー効果というヤツです。東京という街は大きくなるために地方から栄養を吸い取ります。東京が近くなる、都会が近くなるということは、地方を捨てるのに障害が無くなるという事。それは青森の方々にとって望まぬ事ではないでしょうか。

その現状を教えるためにこのコマーシャルは作られたのではないでしょうか。

まだ完成する前の白いねぶた像が鎮座するテントの中に、主人公の「トーキョー」と女の子は入ってきます。「すごいね」とこの白い像を見てトーキョーはつぶやくのですが、女の子はその像が色とりどりの色彩を得て人々を熱狂させる事を知っているからか、漠然とした表情をしています。

そこに女の子の弟さんが登場してこう叫びます。

「言葉にしねぇと、伝わらねぇぞ。」

……青森の方々は心を開いてくれると、尋常じゃない位に明るく楽しい人達です。しかし、彼らは何故か極度の人見知りをします。恥ずかしがりやさんで、照れ屋さんです。そして極端に頑固者です。意固地になってしまって、自分達の存在を隠そうとします。

そうじゃないんです。青森は日本が忘れた日本があるんです。京都や奈良に行くヒマがあるのなら、東京の方々は一度でいいから青森に行った方がいい。これほどいい町は無いと気づくはずです。そのためには青森の人も発言した方がいい……それを弟さんは語ったのです。

「言葉にしねぇと、伝わらねぇぞ。」と。

そして、この言葉には続きがあります。

「姉ちゃん、人気あんだぞ。」

新幹線は時間を縮めるだけでなく、人の距離も近くしてくれます。この新青森開業が青森の人達だけでなく、青森の魅力と出会える素敵なものになりますよう。

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