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2009年1月17日 (土)

神戸を見てきた

 大空を瞬く星の意味を私は未だに理解できない。どこに北極星があるのか、どこにオリオン座が煌めいているのか、どこに明星が輝くのか。地上の星は燕に聞けばわかるかもしれない。プラネタリウムに行けば親切な学芸員さんからオリオン座の位置も意味も教えてもらえるかもしれない。ただその時は「素敵だね。」と横にいる女の子に言いながら聞きたいとは思うけれど。

 あのころの未来に立っているとも思えない。全てが思うほど上手くいくとは思っていないし、思っている以上に上手くいったらそれはそれで問題があると思う。上手くいく人間がいる一方で、上手くいかない人間もいる。まぁ、所詮人間なんてそういうもんだ。

 そのうち、私にも永久に目を開けない時が来る。その時まで私は一生懸命生きようと思う。その時が50年後なのか100年後なのか、それとも明日かもわからない。…先ほどからよくわからない文章が続いているが、今日はそういうことを考える日だ。

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 今日は多分ニュースで色々と神戸の話を取り上げられるだろう。でも、それは関西圏以外の人からすれば単なる季節の風物詩でしかないと思う。関西圏在住の私からすれば「新潟県中越地震」も「奥尻島の津波」も、「そういうことがあったんだねぇ」というレベルになってしまった。

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そのうち忘れてしまい、ワイドショーで何となく取り上げられた内容を見て「へぇ」と言う位になってしまう。人間の記憶というのは忘れるように作られているらしい。本当かどうか分からないけれど。

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 14年前の災害を思い出す1月17日、今日という日を迎えるにあたって、何となく被災現場が今どうなっているのか見てきた。ニュースの被写体として衝撃的に伝えられたあの風景のその後。もちろん個人が撮影してきたものなので期待をしてはいけない。

 まずは伊丹駅。

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関西圏の人には多少馴染みがあるが、それ以外の地域の方はあまり分からないと思うので説明するが、「伊丹」と名前が付いた駅はJRと阪急の2つ存在している。よく震災の写真で登場する倒壊した伊丹駅の駅舎は阪急の方だ。

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元々は阪急の方が栄えていたのだけれど、JRの駅前に大型ショッピングモールができたことと、JR伊丹駅が在籍しているJR宝塚線が民営化以降便利になったので、最近ではJR伊丹駅の方が栄えている印象がある。利便性を向上させたのが遠因となって事故も発生したことは記憶に新しい。

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倒壊前の伊丹駅は高架橋にした際宝塚方面への延伸計画を容易に進めようと支線の駅としては結構立派な2面3線、将来的には追い越しができるようなホームの構造になっていたそうだ。現在はその影もない。

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(1面2線の阪急支線としては標準的な駅舎になった)

路線自体は震災後約2ヶ月経った1995年3月11日に仮駅として再開したものの、崩壊した駅舎自体を撤去し、新たな都市計画の元立て直すため、元の場所に戻るには3年以上の月日を要した。現在は「Reita」というショッピングモールの3階にこじんまりと入居している。

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駅舎の周囲はきちんと都市計画がなされているので、それなりに立派な状態になっているのだけれど、残念なことに震災に関するモニュメント等を私は見つけることができなかった。駅舎自体がモニュメントであるとするならばそれはそれで凄いことだし、単に私が見つけられなかったのかもしれない。

 次に六甲道駅。

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この駅も先程の阪急伊丹駅と同様に高架となっているが、阪急伊丹駅と違って震災から約3ヶ月後の1995年4月1日に開通している。路面や梁を再利用し、高架橋の柱だけを再度作ったそうだ。現に高架橋の部分を見ると、上と下では作られた時期が違うのが一目見ただけでわかる。

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その工事の顛末はたびたびテレビや雑誌で紹介されているので詳しくは説明しないが、とにかく迅速な行動に驚かされた。

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南側の駅前広場へ向かう歩道の傍に小さなモニュメントが設置されている。円筒の中央部分をくりぬき、そこにレールを模した金属の板を渡らせてある。シンプルで力強いそのモニュメント。ただそのモニュメントは風景に溶け込んでしまい、あまりその存在を主張していない。

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(高層マンションが多いのは快速停車駅だからか)

 最後に新長田駅。

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大阪は「くいだおれ」、京都は「着だおれ」、そして神戸は「はきだおれ」と言われることがある。「はき倒れ」と言っても京都で着物の帯をきつく締めすぎた人が大阪で食べすぎて嘔吐する…というのではなく、神戸は昔から靴を作っていた。新長田駅がある長田地区はケミカルシューズを沢山作っていた街で、小さな工場がひしめき合って沢山の靴を作っていた。

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関西のお好み焼屋なら必ず置いている「そばめし」も、この長田地区が発祥の地。食事の際に冷たくなった弁当のご飯を焼きそばと一緒に焼いて食べたのが始まりという。個人的には大好きな「ぼっかけうどん」もこの長田が発祥だ。

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小さな工場がひしめき合っていたということもあって、震災の時この街は焦土と化した。その際この新長田の駅も崩壊した。1995年の3月9日には仮設の駅で営業を再開、現在の駅舎に再建されるのはその日から約1年後の1996年4月3日になる。

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駅の周囲は震災以後に建てられたビルが多く立ち並んでいる。撮影したのはちょうどクリスマスイブ、ビルの中に入居しているショッピングモールからはクリスマスのイベントが開催されており、駅前は華やかなムードに包まれていた。

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新長田の駅の構内には「元気HAKOBEこうのとり」というタイル画がある。全国各地から様々なイラストやメッセージが寄せられており、その中には有名人の名前も沢山ある。ただこの場所も先程の六甲道駅のモニュメントと同じく己の存在を主張していない。

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(目に映る眺めはそう悪くはない)

 

 

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 実はこの記事を書くきっかけになった記事がある。神戸市内のみならず阪神大震災で被災した地域には阪神大震災のモニュメントが150か所以上あるらしい。

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(神戸国際会館の上にもモニュメントがある)

そのどれもが生活に密着したような状態で設置されており、注意して探さないと見つけられない状態になっている。

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(神戸ルミナリエもモニュメントの一つだ。元の目的を忘れて単なるデートイベントになってきたのは喜ぶべきことなのか嘆くべきことなのか。少し複雑な感じがする)

あの年からもう14年、「もう」なのか「まだ」なのかは私は未だに断定することはできないけれど、今一度モニュメントを通じて考えた。災害はそこにある。

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(忘れないから、思い出さない)

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