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2007年7月21日 (土)

夏の日に佇む

 大阪には『キタ』と『ミナミ』と呼ばれる繁華街があります。前者は桜橋界隈を中心とした阪神村や茶屋町周辺を中心とした阪急村が賑わっている梅田(JR大阪駅)周辺、後者は千日前・道頓堀を中心とした難波駅周辺。その2つの繁華街に隠れてはいますが、実に大阪らしい繁華街があります。

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JR大阪環状線・学研都市線・東西線・京阪電車・大阪市営交通長堀鶴見緑地線が重なり合う『京橋駅』。JR京橋駅の東側には関西人なら誰でも歌えるレジャービルの『グランシャトー』、そのお膝元にはジャンジャン横丁よりもディープな店が軒を並べている商店街があり、文字通り大阪人の(ある意味)憩いのスポットとして愛されています。

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またJR京橋駅の南側は東側のコテコテ感とはまったく正反対のオフィスビルが建ち並んでいます。この一体はOBP(大阪ビジネスパーク)と呼ばれ、テレビ局からホテル、多目的ホールから本格的な劇場まで存在している結構大阪人の間では有名なスポットだったりします。この一体を『ヒガシ』と称しておられる方もいるとかいないとか。まぁ『キタ』や『ミナミ』、東京の渋谷や新宿などと比べちゃうとアレですが、程よい賑わいがあって私は結構この場所が好きだったりします。

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 OBPから一番近い改札口はJR京橋駅の南口、ダイエーと直結している西口や京阪と商店街がある北口と比べると地味な感じがするこの改札口の近くにひっそりと佇んでいる仏像があります。

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 元々OBPがあった場所は『大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうじょう)』という軍事施設があった場所でした。第二次世界大戦中はこのOBPだけでなく、森之宮にある団地やJRと大阪市営地下鉄の車庫なども大阪砲兵工廠だったそうです。これだけ広大な敷地の軍事施設があるということは、攻撃の対象にもなるということ。この大阪砲兵工廠も第二次世界大戦末期に空襲されました。

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空襲警報が発令された時、京橋駅には満員の乗客を乗せた列車が到着した直後でした。その乗客達は次々と片町線、現在の学研都市線ホームへと逃げ込みました。石垣に囲まれたこの場所は、爆風から身を守るには最適な場所であると考えられていました。

 

しかし、運命は時に冷酷。

 

風にあおられたであろう1トン爆弾が攻撃目標だった大阪砲兵工廠から外れ、京橋駅の真上に落ち、そして炸裂。身を守るはずだった石垣は脆くも崩れ、逃げ込んだ人々は爆風に吹き飛ばされていきました。この日京橋駅に落ちた爆弾は4発。そのどれもが1トン爆弾で、大阪砲兵工廠があった駅の南西側だったそうです。

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(駅前にはロータリークラブか設置した像もある)

爆撃の威力は凄まじく、この爆撃によって亡くなられた方は判明しただけで210名。この他に身元が判明できず、そのまま無縁仏として亡くなられた方が5・600名程おられたそうです(判明できなかったということは、わかります…よね?)。時に1945年8月14日、終戦のたった1日前の出来事でした。

 

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この時代から早60年以上の月日が流れました。あの日の現場を見た人が、来年この場所を見るという確約があるとは限りません。時は緩やかではありますが悲しみを癒してくれます。しかし、癒されるだけでいいのでしょうか?あの日を今日学び、次の日に生かすことを考えなきゃいけないんじゃないか…と思うわけです。政治的信条や考え方、思想は違えども前向きの調和を欲しているのは誰も同じだと思います。この夏、色々なイベントを楽しみにしている方が多いかと思いますが、少しで構いませんので『あの日を考える』という時間を作ってみるのは如何でしょうか。結構この夏って長いですよ。

 

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